「足るを知る」の言葉に自問自答する毎日

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こんばんは。

今回は「足るを知る」について、書いてみたいと思います。

 

「足るを知る」という言葉を、自分自身の日々の生活1つ1つのシーンで見た時に、これはどうなの??どうすべき??と自問自答する毎日。

 

もともとは「足るを知るは富む」という老子の言葉から来ているとのこと。

 

本来老子が伝えたかった事や、歴史的?哲学的?精神論的?のような難しい話は、この記事では、ちょっと横に置かせていただき、私なりの解釈で書かせていただこうと思います。

 

ので、中には、「解釈間違っている!」とかご意見もあるかと思いますが、そこはご容赦ください。

 

 

 

「足るを知る」の自分的解釈

現時点の自分的解釈はと言うと

『現状で十分足りている事を認識し、その事にまず感謝することが大切。それにより、精神的に満たされ、心豊かに生きていける』

という感じです。

 

もちろん、現状に満足せず、常に向上心を持ち、よりよいを望む事も自然なことだし、大切な事だと思います。

 

ただ、「よりよい」というのはある意味無限大。

 

現状に満足する事なく、欲望欲求を求め続けるって聞くと、一見かっこよく聞こえますが、そこにゴールは無くいつまで経っても満たされる事はない。

 

まずは、現状をしっかり満足し感謝すると言うことが大切で、その上で成長、進歩を追い求める事というのが大切なんだと思います。

 

 

何でもそうだと思いますが、例えば時間。

自由な時間が欲しい!と言っている人に1日の自由時間を与えてあげた時、その人はすごく喜びます。しかし、その1日の時間が経過するにつて、また1日の自由時間が終った時、「もっと自由時間が欲しい」という欲が生まれるとの事。

今自分に与えられている時間があることに、まずは感謝すべきなのかもしれません。

 

 

また、例えばお金。

毎月10万円で生活している人に、毎月50万円で生活し続けてもらうと、最初こそ欲しい物を買える喜び、おいしい料理を食べれる喜びに満足しますが、その生活に慣れるにつれ、「毎月100万円の生活がしたい」という欲が生まれるとの事。

今の生活が出来ていることにまずは感謝すべきなのかもしれません。

 

 

だったら、「今」に感謝をし満足することが出来れば、それはすごく幸せなことなのかなって思います。

 

なんて、偉そうに書いてみましたが、私は全然足るを知れていません(笑)

 

ただ、最近ようやく少しずつ、意識出来るようにはなって来つつあるのかなって感じです。

 

現状が既に十分すぎている事も

現状に満足し、それ以上は望まない・・・という以前に、すでに現状で十分過ぎるものに対して当たり前と思ってしまっているものも。

 

少し、そのレベル?質?を落としてもいいような事もたくさんあるのかも。

 

例えば、日常毎日食べているお米だったり、パンだったり。

 

世の中を見渡せばもちろんキリがありませんが、近くのスーパーの中にですら、お値段も質も様々な物が並んでいます。

 

今まで、有名なブランド米を当たり前に選んでいましたが、お買い得な他のお米を食べてみると、最初こそ少し違いを感じても、すぐに慣れて、それが当たり前になりました。

 

私にはお買い得なお米でも「足る」事を知りました。

 

食パンでも。少し固いかな、もっちりが足らないかなって思っても、慣れてしまえば十分。

 

家計的にも優しいし、もっと「足るを知る」と感じる幸せがあるような気がします。

 

 

 

日常生活の中で自問自答

我が家は現在車を2台所有していますが、1台は新車で買って13年経過の車。

もう1台は6年落ちで買い3年ほど経過した中古車。

どちらもけっして新しいとは言えず、むしろ古い部類に入る状態です。

 

最近の車って内装もおしゃれだったり、オートブレーキホールド機能、電動パーキング機能など、我が家の車にはついていない機能が盛りだくさんで、乗ってみたい!

 

また、古い車ということもあって燃費も悪い。最近のガソリン価格高騰もあるし、ハイブリッド車や電気自動車のような燃費のいい車に乗ってみたい!

 

現状、今の車は問題なく走ってくれて、車の目的としては十分果たしてくれています。

 

新しい車、燃費のいい車を買いたいと思ってしまいますが、現状の車で満足すべきなのではないか、今車を所有出来ていることをまず満足すべきなのかな。

 

もっと日常的な事で言うと、今より楽しい仕事がしたい、休みが取りやすい仕事がしたい、通勤時間が短い職場がいい、などの仕事関係の欲望。

 

スマホが古くなって来たから最新のに機種変更したい、容量が足りなくなってきたから容量の大きいスマホに買い替えたいなどなど、最近何をするにも、「足るを知る」を思い出しては自問自答です。

 

まとめ

ただ、何でもかんでも、欲を持たずにってのもどうなんだろうとも考えたり。

 

自分の大好きな趣味には、欲望のままに走ってもいいのかな。

 

家族で食事やお出かけに行った時は、思う存分贅沢に時間やお金を費やしてもいいのかな。

 

めりはりをつけながら、これは現状で満足すべきもの、欲を出してもよいものを自分で決めて行ってみようと思います。

 

そもそも、欲ってどこから来るのかな。

 

他人との比較? 

自分よりいい車を乗ったり、いい生活をしてる他人の存在が一切なかったら、こんな欲はそもそも生まれないのかな。

 

他人とは限らないと思いますが、何かと比較していることは間違いないと思います。

 

ってことは、比較対象を誰とするのか?何とするのか?によって変わってきそうです。

 

今後も、何か欲を感じた時、その欲をどこから来ているのかをじっくり考え、本当に必要なものなのか、欲望に走って良い場面なのか、自問自答してみようと思います。